セブ便り(第3回) 「フィリピン史の始まりはセブにあり。-レガスピによるセブ植民地化」
令和4年6月17日
セブ便り(第3回)
「フィリピン史の始まりはセブにあり。-レガスピによるセブ植民地化」
「フィリピン史の始まりはセブにあり。-レガスピによるセブ植民地化」
「ヴィクトリア号」のスペイン帰港によるマゼラン船団の世界一周成功にもかかわらず、スペインによるフィリピン植民地化は1565年まで開始されませんでした。これは、1525年から1542年にかけて、チャールズ国王によって行われた4回の遠征がいずれも失敗に終わったためです。
1564年、フェリペ2世は、スペイン領メキシコ総督府のレガスピを遠征隊の隊長に任命します。レガスピの4隻の船団は、1564年11月にメキシコのナビダッド港を出港し、1565年2月にセブの港に入ります。セブの首長トゥパスと住民は、山中に逃げ込みますが、「危害は加えない」とのレガスピの呼びかけに応じ、徐々に警戒心を解いていきます。レガスピの兵士は、サント・ニーニョ(幼きイエス)の像を発見します。それは、44年前(1521年)にマゼランが首長フマボンの妻ジュアナに与えたものでした。

(セント・ニーニョ教会に置かれているセント・ニーニョ像)
(注:近くからの撮影は禁止されていました。)
1565年6月4日、レガスピは、セブの首長トゥパス及びその他の首長と平和友好条約を締結します。その内容は、フィリピンの歴史家によれば、以下のような内容を含むものでした。
-セブの住民は、スペイン国王及びスペイン人に対し忠誠を誓う。
-外敵からの攻撃に対してスペインが住民を守る。その代わりに、住民がスペインに協力する。
-スペイン人に対して罪を犯した住民はスペイン側に引き渡す。
この条約によって、スペインのセブに対する主権が確立されました。
レガスピは、セブにスペイン入植地の建設を始めます。この入植地は「サン・ミゲル」と呼ばれたようですが、「サン・ミゲル」と呼ばれる場所は世界各地にあり、ビールの名前にもなっていますね。セブの海岸沿いにあるサン・ペトロ要塞の原型が建設されたのもこの時です。

(サン・ペドロ要塞の入り口)
在セブ総領事 山地秀樹
(参考文献)
“Philippine History: Expanded and Updated Edition”, by Teodoro A. Agoncillo, Fe B. Mangahas, C&E Publishing Inc., Quezon City, Philippine (2010)
“The Discovery and Conquest of the Philippines 1521-1581”by Martin J. Noone, Historical Conversation Society(1983)
“Introduction to Filipino History” by Teodoro A. Agoncillo, Garotech Publishing (2006)
「物語フィリピンの歴史」、鈴木静夫著、中公新書(1997年)
(了)