セブ便り(第4回) 「フィリピン史の始まりはセブにあり。ーレガスピのマニラへの移動」
令和4年7月20日
セブ便り(第4回)
「フィリピン史の始まりはセブにあり。-レガスピのマニラへの移動」
「フィリピン史の始まりはセブにあり。-レガスピのマニラへの移動」
レガスピは、3年ほどで、セブから移動を始めます。この理由としては、セブでは食料が不足しており、より豊かな土地を求めたという説や、ポルトガル勢力の南側からの圧力を感じたためであるとの説などがあります。
1568年9月30日、ポルトガル船7隻がセブに入港し、セブはポルトガル領であるとしてスペイン勢力のセブからの撤退を要求します。この時は、レガスピは、セブ住民の助けも借りて、ポルトガルの船団を追い返すことに成功しますが、これがセブからの移動のきっかけになったのかもしれません。
1529年にスペインとポルトガルとの間で締結されたサラゴサ条約は、両国の境界を東経144度30分とし、これよりも西側はポルトガルに属するとしていますが、これによれば、フィリピンはポルトガル側になります。しかし、サラゴサ条約は、主に、香辛料を産出するモルッカ諸島の領有に焦点をあてたものであったため、条約の適用範囲について、ポルトガルは、最終的には、さほど固執しなかったようです。
レガスピは、1569年に、セブ島の北西に位置するパナイ島(現在のカピス州ロハス(Roxas, Capiz province)に二番目の入植地を建設します。レガスピの部隊は、更に、北に向かい、ミンドロ島を経て、1570年5月マニラに入り、同地の首長スリマンの部隊を破って、マニラを征服するのです。レガスピは、1571年にマニラに到着し、恒久的な入植地をマニラに建設します。スペイン国王は、レガスピを初代フィリピン総督に任命します。

(レガスピとその部隊のフィリピン国内での動き図)

(レガスピの銅像)
在セブ総領事 山地秀樹
(参考文献)
“Philippine History: Expanded and Updated Edition”, by Teodoro A. Agoncillo, Fe B. Mangahas, C&E Publishing Inc., Quezon City, Philippine (2010)
“The Discovery and Conquest of the Philippines 1521-1581”by Martin J. Noone, Historical Conversation Society(1983)
“Introduction to Filipino History” by Teodoro A. Agoncillo, Garotech Publishing (2006)
「物語フィリピンの歴史」、鈴木静夫著、中公新書(1997年)
(了)