セブ便り(第7回)「日本とセブとの関わり-日本人会墓地」

令和4年8月24日
セブ便り(第7回)「日本とセブとの関わり-日本人会墓地」

 ここまで、戦前にはセブに比較的大きな日本人コミュニティーが存在しており、1915年(大正4年)にはセブ日本人会が設立され、セブの下町はリトル・トーキョーの感を呈していたこと、それが戦争を経て、フィリピン人の強い反日感情から、戦前の痕跡が消し去られ、1982年に設立された新しい日本人会との間に断絶が生じてしまったことをみてきました。
 今回は、セブで在住された日本人のお墓がどのように扱われたのかをみていきます。
 
 日本人会会報紙「セブ島通信」によれば、1990年前後に、セブ日本人会会長の与那嶺氏を中心とした日本人会のメンバーが、戦前にセブに在住していた日本人の方々の墓地の調査を行いました。旧日本人墓地は、戦前、セブ市から約600坪の土地を譲り受けて作られたとの情報だけがあったようです。調査の結果、セブの下町のマンゴ・アベニュー近くに旧日本人墓地の痕跡を見つけたようですが、そこは、不法に建設されたバラック住宅に覆い尽くされていました。墓標がバラックの羽目板に使われ、墓石がニッパハウスの柱になっていたということです。
 この調査に参加して、戦前の日本人墓地のひどい状態に心を痛めた日本人会理事の高橋正徳氏は、1998年、セブ北方のリロアン町高台に自らが保有する墓地5区画(10平方メートル)を旧日本人墓地の移転先とすべく日本人会に寄贈されました。
 この寄贈を受けて、1999年秋、納骨式のセブ日本人会墓地が完成します。調布市延浄寺の網代正幸住職が来訪し、魂を旧日本人墓地から移転する宗教手続が行われました。これによって、戦前からセブに永眠されていた日本人の方々の魂がセブ日本人会墓地に移りました。この墓地は、セブ日本人会が管理されており、定期的に墓参が行われているということです。私も2022年7月1日にお墓参りをさせていただきました。墓地は、リロアン町のなだらかな丘にあり、墓のまわりもとても静かで爽やかな風が吹き抜けていました。戦前の日本人墓地に埋葬された方々、また、戦後にこの墓に納骨された方々の御霊は安らかにご永眠されていることと思います。
 
(リロアンの日本人会墓地)

 
在セブ総領事 山地秀樹
 
(参考資料)
セブ島通信 2010年5月 VOL116
セブ島通信 2018年5月 VOL164
(了)