セブ便り(第11回) 「世界的に有名なマクタン島のギター」
令和4年11月9日
セブ便り(第11回) 「世界的に有名なマクタン島のギター」
セブ島の東隣にあるマクタン島のラプラプ市は、素晴らしい音色と美しいデザインの手作りギターを生産することで世界的に有名です。インターネット上の情報によれば、ギターは、フィリピンがスペインの植民地だった頃に、スペインの修道士によってもたらされた、1年に2回のガレオン貿易によってメキシコのアカプルコに持って行ってギターを補修するのには時間がかかりすぎるので、ラプラプの地元でギターを補修することを思いついた、そしてギターの補修がラプラプでの最も古い産業の一つになったとされています。
しかし、私は、この情報に対して2つの疑問を持ちました。1つめの疑問は時期です。ガレオン船を用いてフィリピンとメキシコとの間で貿易が行われていた時期は、1572年から1815年までで、1815年のメキシコの独立によってガレオン貿易は終了します。一方、スペインの名工アントニオ・デ・トーレスが丸みのあるボディをもつ現在のクラシック・ギターの基本形を製作したのは1850年代に入ってからなので、現在の形のギターを前提にすると、時期が合いません。もう1つは、場所です。ガレオン貿易は、マニラとメキシコのアカプルコの間で行われていたのですが、どうして、ギターの補修が産業として定着したのがマニラではなく、マクタン島だったのでしょうか。
更に、別の疑問が沸いてきました。ギターの補修からギター製作が始まったとしても、それが、いかにして世界的に有名なギターになっていったのかの過程がわからないのです。何がマクタン島のギターを世界レベルに引き上げたのでしょうか。ギターに使われる木材の材質でしょうか。技術者の腕でしょうか。
これらの疑問の答えを求めて、マクタン島ラプラプ市のアブノ地区にある「アレグレ・ギター・ファクトリー」というギター製作所を訪ねました。迎えてくれたのは、フェルナンド・M・アレグレ氏。アレグレ氏によれば、「アレグレ・ギター・ファクトリー」は、アブノ地区でも最も古いギター製作所だそうです。フェルナンド・アレグレ氏は、この製作所の所有者であり、三代目の弦楽器製作者だということでした。三代目で一番古いということは、上記の1つめの疑問である時期については、マクタン島でギターの補修が始まったのは、ガレオン貿易の時代ではなく、最も早くても百数十年前と考えるのが妥当でしょう。但し、アレグレ氏も「ギターはガレオン貿易を通じてもたらされた。」と話していましたので、近代ギターの前の型のギターがスペイン修道士によってガレオン貿易を通じてもたらされていたのかもしれません。
一方で、アレグレ氏によれば、教会のスペイン人修道士がギターの補修の依頼をしたのがマクタン島で、それが同島でのギター補修の始まりということは間違いないようです。「何故マクタン島だったのか」という疑問に対しては、セブ島やマクタン島の人々は以前から音楽好きで、音楽への需要が強かったためであろうと説明してくれました。私には、ほとんどのフィリピン人は音楽好きであるように思えるのですが、中でも、セブ島やマクタン島の人々は特に音楽のセンスがいいのかもしれません。
「いかにしてマクタン島のギターが世界的に有名になったのか」の疑問については、「よいギター作りには、よいギター奏者が必要である。」との答えが返ってきました。レベルの高い奏者がいれば、彼らがギターの音色を聞いて、改良すべきポイントについてギター製作者に助言をします。この助言にしたがって、表面板の裏側に貼り付けて補強の骨組み(ブレイシングと呼ばれます。)のデザインや板の材質などに工夫を加えるのだそうです。1960年代から、マクタン島ではレベルの高い奏者が出てきて、それに応じて、マクタン島のギターのレベルも上がっていったそうです。
これに加えて、アレグレ氏によれば、世界的なギター奏者が「あそこのギターは良い。」と肯定的な評価をすることが、そのギターの評価を大きく左右するのだそうです。マクタン島の演奏者によってレベルを上げたギターが、世界的ギター奏者によって評価されて初めて、そのギターへの一般の評価が確立するのだということです。優れた奏者によってレベルが上がったマクタン島のギターは、その後、世界的ギター奏者によって評価されていったということです。
ギターに使われている木材は、フィリピン国内のものもあれば、輸入材もあるとのことで、それ自体がギターの質を左右するわけではないとのことでした。国産材としては、マホガニー、ジャックフルーツウッド、アカシア、マンゴー、黒檀、ナラなどがあるようですし、輸入材としては、トウヒ、杉、紫檀、コアなどがあるとのことでした。
いずれにせよ、アレグレ氏は、私の訪問を歓迎してくれました。マクタン島のギターが有名になってからは、日本のミュージシャンとの交流もさかんになったということで、日本に行った時に習ったという「シクラメンのかおり」を演奏してくれました。1960年代から70年代の日本の音楽はメロディーが素晴らしいとおっしゃっていました。これからも、マクタン島で素晴らしいギターが作り続けられることを願っています。
しかし、私は、この情報に対して2つの疑問を持ちました。1つめの疑問は時期です。ガレオン船を用いてフィリピンとメキシコとの間で貿易が行われていた時期は、1572年から1815年までで、1815年のメキシコの独立によってガレオン貿易は終了します。一方、スペインの名工アントニオ・デ・トーレスが丸みのあるボディをもつ現在のクラシック・ギターの基本形を製作したのは1850年代に入ってからなので、現在の形のギターを前提にすると、時期が合いません。もう1つは、場所です。ガレオン貿易は、マニラとメキシコのアカプルコの間で行われていたのですが、どうして、ギターの補修が産業として定着したのがマニラではなく、マクタン島だったのでしょうか。
更に、別の疑問が沸いてきました。ギターの補修からギター製作が始まったとしても、それが、いかにして世界的に有名なギターになっていったのかの過程がわからないのです。何がマクタン島のギターを世界レベルに引き上げたのでしょうか。ギターに使われる木材の材質でしょうか。技術者の腕でしょうか。
これらの疑問の答えを求めて、マクタン島ラプラプ市のアブノ地区にある「アレグレ・ギター・ファクトリー」というギター製作所を訪ねました。迎えてくれたのは、フェルナンド・M・アレグレ氏。アレグレ氏によれば、「アレグレ・ギター・ファクトリー」は、アブノ地区でも最も古いギター製作所だそうです。フェルナンド・アレグレ氏は、この製作所の所有者であり、三代目の弦楽器製作者だということでした。三代目で一番古いということは、上記の1つめの疑問である時期については、マクタン島でギターの補修が始まったのは、ガレオン貿易の時代ではなく、最も早くても百数十年前と考えるのが妥当でしょう。但し、アレグレ氏も「ギターはガレオン貿易を通じてもたらされた。」と話していましたので、近代ギターの前の型のギターがスペイン修道士によってガレオン貿易を通じてもたらされていたのかもしれません。
一方で、アレグレ氏によれば、教会のスペイン人修道士がギターの補修の依頼をしたのがマクタン島で、それが同島でのギター補修の始まりということは間違いないようです。「何故マクタン島だったのか」という疑問に対しては、セブ島やマクタン島の人々は以前から音楽好きで、音楽への需要が強かったためであろうと説明してくれました。私には、ほとんどのフィリピン人は音楽好きであるように思えるのですが、中でも、セブ島やマクタン島の人々は特に音楽のセンスがいいのかもしれません。
「いかにしてマクタン島のギターが世界的に有名になったのか」の疑問については、「よいギター作りには、よいギター奏者が必要である。」との答えが返ってきました。レベルの高い奏者がいれば、彼らがギターの音色を聞いて、改良すべきポイントについてギター製作者に助言をします。この助言にしたがって、表面板の裏側に貼り付けて補強の骨組み(ブレイシングと呼ばれます。)のデザインや板の材質などに工夫を加えるのだそうです。1960年代から、マクタン島ではレベルの高い奏者が出てきて、それに応じて、マクタン島のギターのレベルも上がっていったそうです。
これに加えて、アレグレ氏によれば、世界的なギター奏者が「あそこのギターは良い。」と肯定的な評価をすることが、そのギターの評価を大きく左右するのだそうです。マクタン島の演奏者によってレベルを上げたギターが、世界的ギター奏者によって評価されて初めて、そのギターへの一般の評価が確立するのだということです。優れた奏者によってレベルが上がったマクタン島のギターは、その後、世界的ギター奏者によって評価されていったということです。
ギターに使われている木材は、フィリピン国内のものもあれば、輸入材もあるとのことで、それ自体がギターの質を左右するわけではないとのことでした。国産材としては、マホガニー、ジャックフルーツウッド、アカシア、マンゴー、黒檀、ナラなどがあるようですし、輸入材としては、トウヒ、杉、紫檀、コアなどがあるとのことでした。
いずれにせよ、アレグレ氏は、私の訪問を歓迎してくれました。マクタン島のギターが有名になってからは、日本のミュージシャンとの交流もさかんになったということで、日本に行った時に習ったという「シクラメンのかおり」を演奏してくれました。1960年代から70年代の日本の音楽はメロディーが素晴らしいとおっしゃっていました。これからも、マクタン島で素晴らしいギターが作り続けられることを願っています。
(アレグレ・ギター・ファクトリーでの手作りによるギター製作の様子)

(フェルナンド・アレグレ氏と筆者)

在セブ総領事 山地秀樹
(了)