セブ便り(第20回) 「東サマール州ボロンガン市の「人に優しい政治」」
令和5年7月19日
セブ便り(第20回)「 東サマール州ボロンガン市の「人に優しい政治」」
「人に優しい政治」というと、読者の中には、村山富市元総理のキャッチフレーズを思い出す方もいらっしゃるかもしれませんが、東サマール州ボロンガン市の政治と行政を視察した後で私の頭に浮かんだのが、この言葉でした。
東サマール州ボロンガン市は、在留邦人が一人もいないこともあり、私の訪問先候補には入っていませんでした。2月23日、ホセ・イバン・ダヤン・アグダ・ボロンガン市長一行が当館を来訪され、「6月にサマール沖海戦の記念碑起工式を行うので、是非ボロンガン市に来てほしい。」と同市長から要請がありました。第二次世界大戦の戦没者慰霊には高い優先順位を置いていましたので、訪問要請をお受けすることにしました。
東サマール州ボロンガン市は、在留邦人が一人もいないこともあり、私の訪問先候補には入っていませんでした。2月23日、ホセ・イバン・ダヤン・アグダ・ボロンガン市長一行が当館を来訪され、「6月にサマール沖海戦の記念碑起工式を行うので、是非ボロンガン市に来てほしい。」と同市長から要請がありました。第二次世界大戦の戦没者慰霊には高い優先順位を置いていましたので、訪問要請をお受けすることにしました。
(東サマール州ボロンガン市の位置)


東サマール州ボロンガン市についての知識はほとんどありませんでしたので、にわか勉強で基本的なデータだけは頭に入れました。東サマール州は、ビサヤ地域の東端に位置し、太平洋に面している。サマール島は、フィリピン国内でも相対的に所得が低いところであり、東サマール州の人口は約47万人、ボロンガン市の人口は約7万人。2015年の州の貧困率は32%で、全国平均値よりやや高い。主要産業は農業と漁業。言語はワライ語。州の最南端に位置するギワン町はサーフィンの人気スポットになっていることなどです。
6月19日の正午、ボロンガン空港に着きました。そのまま同空港で、出発ターミナル開設と空輸業務開始の記念式典に出席、その後、ベン・エバルドネ・東サマール州知事に表敬訪問して、夜は、ボロンガン市設立記念日の行事に出席しました。翌20日は、市の医療施設、水力発電候補地、中間冷凍貯蔵庫、養鶏処理施設を視察し、夜は、市にとっても初めてとなるナイト・パレードに参加しました。最終日の21日は、早朝から山間部に入り、山々の間に漂う雲海を見学した後、固体廃棄物処理場の視察をして、市長の私邸で朝食をご馳走になりました。最後に、サマール沖海戦の記念碑起工式に参加しました。2泊3日でしたが、盛り沢山の内容でした。
(東サマール州ボロンガン市出張時の様子)









まずは、街の様子です。貧困率約30%とは思えないほど、人々はリラックスしていて楽しそうです。街がきれいで、ゴミが落ちていません。魚を売っている店先には、胴体から二等分に切られたマグロがドーンと置いてあります。切り落とされた頭や尾ビレは日本のデパート地下の鮮魚店などで見たことがあるのですが、このような豪快な展示は初めてです。近海ではマグロがふんだんに獲れるのでしょう。
(店頭に並ぶマグロ)

郊外に出ると、フィリピンの大都市と違い、開発されていないビーチや岩礁の美しさは目を見張るものがあります。椰子の林の合間から見える濃い藍色の海も印象的でした。山側は、あたり一面椰子の森です。環境保全が十分になされていることが窺えます。
(ボロンガンのビーチと岩礁)



3日目の早朝に訪れた山間部に現れる雲海も見事でした。ボロンガンの名前の由来である「ボロン」とは、ワライ語で「霧」という意味だそうです。昔から、この地はこのような穏やかな霧に包まれていたのでしょうね。
(ボロンガン市山間部に雲海)


しかし、最も強い印象を受けたのは、東サマール州とボロンガン市の地方自治でした。中央政府からの支援に過度に頼らず、自らで考え行動していくという独立の精神を、州知事からも市長からも感じとることができました。なお、セブ便り(19)で地方の有力政治家ファミリーについて触れましたが、フィリピン国内の81州のうち有力政治家ファミリー出身でない州知事は7州しかいません。東サマール州知事はそのうちの一人です。
エバルドネ州知事によれば、東サマール州は、長い間、交通のアクセスの悪さと新人民軍によるゲリラ活動からくる治安の悪さのために低開発に苦しんできました。しかし、交通のアクセスについては、2008年にボロンガン空港が開設され、2022年12月9日から商用便が就航して、著しい改善がみられました。新人民軍を支援する村にも関心を払い、必要な支援を行ったことで、結果として新人民軍の活動も低調となったそうです。
更に、エバルドネ州知事は、就任時に貧困率が67%もあった現状を踏まえ、インフラ整備や投資誘致ではなく、医療や健康といった社会プログラムの充実に施策の重点を置いたそうです。これが奏効して、現在では貧困率が32%まで落ちてきたということでした。「誰も置き去りにしない政治」。これは、口にするのは簡単ですが、実施は容易ではなかっただろうと思われます。
(エバルドネ・東サマール州知事)

ボロンガン市のアグダ市長は更に印象的でした。新たな事業として、ボロンガン空港の開設でセブとマニラと直行便がつながったことを利用して、ボロンガン市に漁港を整備し、近海でマグロを捕獲して、冷凍保存または新鮮なまま、日本の市場に空輸する計画をもっておられました。そのために、中間冷凍貯蔵庫をすでに整備してあり、着々と手を打たれているようでした。
アグダ市長は、山間部の道路もない場所に位置し、政府から軽視され支援を得られず、極度の貧困故に新人民軍などゲリラの温床となっていた村々に、自ら足を運び、約束どおりに道路を建設し、村人の信頼を得ました。これによって、それらの村々による新人民軍への支援が低調になったそうです。また、アグダ市長の指示により、市職員が不法森林伐採者を見つけたら、彼らを処罰するのではなく、市で雇いあげ、環境保護の仕事を与えるということもしているということでした。
また、アグダ市長は、遠隔地の村々と市役所に医薬品を無料配布する窓口を作りました。だから、どんなに貧しい人でも必要な医薬品を手に入れることができるのです。市の医療施設の建設と運営にも力を入れています。市民の健康と幸福に十分に注意を払っているようでした。まさに、「人に優しい政治」です。
アグダ市長は、山間部の道路もない場所に位置し、政府から軽視され支援を得られず、極度の貧困故に新人民軍などゲリラの温床となっていた村々に、自ら足を運び、約束どおりに道路を建設し、村人の信頼を得ました。これによって、それらの村々による新人民軍への支援が低調になったそうです。また、アグダ市長の指示により、市職員が不法森林伐採者を見つけたら、彼らを処罰するのではなく、市で雇いあげ、環境保護の仕事を与えるということもしているということでした。
また、アグダ市長は、遠隔地の村々と市役所に医薬品を無料配布する窓口を作りました。だから、どんなに貧しい人でも必要な医薬品を手に入れることができるのです。市の医療施設の建設と運営にも力を入れています。市民の健康と幸福に十分に注意を払っているようでした。まさに、「人に優しい政治」です。
(市庁舎の医薬品無料配布所)

ボロンガン市の予算の30%は健康と医療の分野に支出されているそうです(なお、フィリピンの下院によって義務的に求められている地方政府による健康分野への予算割当て割合は15%です。)。このような医療など社会プログラムを重視すると、気になるのは財源ですが、財源は、既存の歳出を見直して捻出したのだということです。建設会社を経営していたビジネスマン出身の市長ならではの采配です。
アグダ市長は言います。「政治が一番大切。政治が良ければ、フィリピンはもっと発展するはずだ。」謙虚な人柄で、先々を見据え、大胆に発想し、着実に実施する。フィリピンの政治家が、みなアグダ市長のようであれば、フィリピンには明るい将来が待っていると思いました。
アグダ市長は言います。「政治が一番大切。政治が良ければ、フィリピンはもっと発展するはずだ。」謙虚な人柄で、先々を見据え、大胆に発想し、着実に実施する。フィリピンの政治家が、みなアグダ市長のようであれば、フィリピンには明るい将来が待っていると思いました。
(アグダ・ボロンガン市長)

在セブ総領事 山地秀樹
(了)